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あのね、内容的に超ワタクシゴトであり、楽しい話しでもないので、軽くスルーしてね。

記録として書いて残しておこーと思っただけなので。



今日はね、実父の誕生日です。

そして、奇しくも初めての月命日となりました。

ずっと父のことを書こうかなぁ、どうしようかなぁ。なんて思いつつ、頭と気持ちが追いつかなくて時間が過ぎてしまいました。



1月3日の仕事初めの早朝、母からの電話。

父の容体がよくなく、家族を呼ぶようにとお医者さんから言われたと。

あぁ ついに来るときが来ちゃったのかなぁ。

前日2日に、岐阜に住んでいる弟家族5人が、父に会うために帰省して孫達も顔を見せて、嬉しそうな写真画像を見たところだったので、驚いたんだけどね。

それも嬉しくて、会えたから、ホッとしたのかなぁ~。


とりあえず、会社の相方のにーさんに連絡して仕事を変わってもらい、社長に連絡して、荷仕度をして帰りました。

実家へは、乗り継ぎよくても5時間はかかる距離なので、大阪へ来て何十年、きっと親の死に目に会うことは出来ない運命なんだろうなぁと思っていたけど、お昼過ぎに病院へ行ったときには、苦しそうにはしていたけど、父は意識もしっかりしていて、会話をすることも出来ました。

2年前に大腸癌の手術をして、辛い闘病生活をすごし、去年の11月には、本人も「もう退院はない」と覚悟をしての入院でした。

11月に一度お見舞いに帰省したときも、随分痩せて本人も「もう年内もたないなぁ。自分のことだからわかるよ」なんて言ってました。

父は、自分の病気に向き合って、受け入れていたので、いろんな言葉を私たちに残してくれました。

「戦中戦後、平成に至り悲喜こもごも色々あったけれど、なんといっても一番の思い出は〇子(母の名)と結婚、家庭を築いたこと」
「子供と孫に恵まれ、兄弟仲良くしてくれ、親にとっては本当に嬉しいことだ」

「我が人生に悔いなし!万々歳!!」と書いて終っていました。


父と最後に過ごした1日は、父の生き方そのもので、穏やかで、気遣い人間で、ユーモアがあって。

ちょっとね、親バカなこと書くけどね(あ、この場合子バカになんのか?)

亡くなる日まで、意識があって、娘婿や息子の嫁さんたちに、「立っていると疲れるだろう座りなさい」とか

「少し休んできなさい」と言い、ワタシらに「もうここに来て人のこと気遣わんでもーー自分のことだけ考えなさいなー」って言われる始末。

ワタシたちの会話の中でも、クスッとちょっと笑えるような冗談を言ってみたり、きっと本人は言葉を発することはとても辛いことだったんだろうと思うけど、それはワタシたちへの気遣いだったんだろうなぁと思います。

亡くなる2日前まで日記を書き、当日まで意識があったことは、とても本人は辛かったんだろと思うけど、4日の午後一時過ぎになくなるまで、父は穏やかな人柄そのものでした。

個室に入りきれないほどの家族に囲まれて、最期を迎えました。



父は、自分の死に様を通して、ワタシたち子供や孫たちに沢山のものを残してくれました。

「あぁお父さんって本当に幸せな人なんだ。そしてそう心から感じることが出来る私たち子供や孫はなんて幸せなんだろう」と。


父の1月2日の最期の日記は、「〇男(弟)一家が来てくれて嬉しい。(家族5人の宿泊先となった妹)〇子も大変だろう」でした。
お父さんらしいなぁ。


ワタシは元旦に父のスマホに「2013年 今年もよろしく。愛してるよ~。」を送りました。

後で聞いたら、ケータイ見る元気もなかったらしく、結局見てはなかったようですけどね。



今日は、天国に向かって言いますよ。

お父さんお誕生日おめでとう! 愛してるよ~。

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2013.02.04 Mon l たわごと l コメント (0) トラックバック (0) l top

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